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■フランス山の風車

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フランス山の風車 ROLLEI35 / TESSAR40mmF3.5

 5月半ばの日曜日。まずまずの天気。  

 朝は昨夜の続きの仕事から。一通り終わらないうちに出かける時間になった。息子はお友達と遊ぶので別行動。女房と娘と3人で神奈川近代文学館で開催中の「中原中也と富永太郎展」を見に行く。
 途中、みなとみらいで下車し、ワールドポーターズの5階にあるお店で昼食。お食事券をいただいた為。おいしかった。

 馬車道から電車に乗って元町まで。地下4階から地上へ出てフランス山を登りはじめる。頂上には元フランス領事館邸跡。 当時設置されていたという風車による汲み上げ井戸が復元されてあって、風で回るたびに水道管から水が滴る。
 山の尾根伝いに進むと港の見える丘公園。今が盛りの薔薇苑をまず散策。沢山の人でにぎわっている。しばらくしてキーボードとオーボエによるかんたんな野外コンサートが始まり、人だかりができる。娘にデジカメを渡したところ、コンサートそっちのけで薔薇の花を撮影しまくっている(^^;。この薔薇苑の傍らにはイギリス館がある。

 15時近くなったのであわてて文学館へ入る。中原中也と富永太郎のビッグネーム。富永太郎は24歳、中原中也は30歳で夭折している。展示を見てわかったことだが、二人とも幼少から学校の成績は良かったが、二人とも徐々に落第する。富永太郎は人妻との不倫に苦悩し、中原中也は同棲していた女性を小林秀雄に奪われている。
二人が出会ったのは富永23歳。中也17歳。富永の死の前年だった。中也はここで富永が傾倒していたフランス詩を知ることになる。

 原稿用紙に、手帳に綴られた彼らの文字はどこか神経質な印象。そして書いてある詩編の激烈なこと・・・(!)。煮えたぎる心を、気持ちを、どうやって書き表せばいいか、心情を直接叩きつけるような作風。そんな格闘の痕のようにも見えてくる。

 こうして後世の人間が彼らの生涯を概観する展示を見て率直に感じるのは、人一倍鋭敏な感覚を持ってしまうと、その才能に翻弄される人生を送る、ということになろうか。詩には人智を超えた存在が宿ることがある。人とは違う何かを見つめる彼らは現世に居場所を見つけにくかった。そんな気もする。彼らはきっと孤独だった。詩人同士で同人誌を出すことなどもあったが、やはり長続きはしていない。個性をぶつけ合えばぶつけ合うほど、むしろ孤独感を強めていったのではなかったか。人は決して分かり合うことのない宿命を背負っている、という自覚。

 展示を見終わっていささか疲労感を感じる。内容がヘヴィーだったかな。時間も時間なのですぐに電車に乗って帰宅する。

ROLLEI35
TESSAR40mmF3.5

 普段散歩に出る時は、大抵フィルムカメラとデジカメを合わせて持って出る。デジカメの用途はもちろん甘露日記のため。言ってみれば実用機として。そしてフィルムカメラでPHOTO日記にも使うであろうカットを撮影する。とはいえ、そんな使い分けにどれほどの意味があるのか自分でも最近はよくわからない。
 ペンタックスK10Dを使って半年が過ぎたが、結局は豊富な機能のうちのごく一部しか使っていない。フィルムカメラ時代にLXでやってきた撮影以上の凝ったことなどできないということだった。ポートレートで背景を思いっきりぼかしたい、とか、超広角レンズでパンフォーカス写真を撮りたい、など、はっきりした撮影意図を持たない限りは、カメラまかせで撮るのがむしろ一番仕上がりがいい。高性能デジカメを手にしてしまったら、よほどのことがない限り撮影者は構図を決めてシャッターを切るくらいしか出番がないのだ。
 デジカメを手にすると味わえない楽しみがフィルムカメラにはある。特にローライ35は撮影者であるワタシが1から10まで操作してあげなければまともに動かない。コンパクトなのにズッシリと重い感じのするこの金属製カメラのボディを構えた時、なんだかワクワクしてくるから不思議なのだ。そんなとき、赤瀬川原平師匠の言葉を思い出す。「プラスチックには反応しない。金属に反応する。」(赤瀬川原平「金属人類学入門」より)。きっと体内に磁石でも入っているんだろう・・・。

2007年06月10日記


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