
続センチメンタルな旅 沖縄
荒木経惟
私家版 1971年10月22日発行
旅は続いていた。
新婚旅行が「センチメンタルな旅」のスタートだとすれば、その後に続く新婚生活は当然「続センチメンタルな旅」となるのである。
表題に「沖縄」と大書きされているのは、先の大戦で占領されたままになっている沖縄が写っている、というこの写真集のセールスポイントなのであろう。実は沖縄の写真はこの写真集の最後に少し出てくるだけである。当時、本土の人間が沖縄に渡るにはパスポートが必要で、日本ではなかったのだ。
陽子さんと結婚された1971年当時、荒木さんは大手広告代理店・電通のカメラマンであった。そのためか、いかにも電通の仕事で訪れた、という場所でも撮影されている。東芝の受付、どこぞの工場で記念撮影、明るい家庭を描いたスタジオ写真、ビルの屋上工事中の鳶、電通の廊下まで写っている。
他に目に付く撮影技法としては、複写である。アメリカ人のボクサーが写っている写真の複写からこの写真集は始まっている。讃美歌430番、富士の落書き、美術展ポスター、三波春夫・豊和親子のポスター、結婚式場の駅広告に写っている文金高島田、国電の車内広告、高倉健が江利チエミと離婚したときの雑誌記事、テレビ、易のビラ、百面相=南沙織、東海林さだおの「コチラその他課」という漫画に描かれた「大またびらきで有名な某センセイ」は荒木さんがモデルになっている。皇太子様(当時)ご一家の雑誌記事。遊女お陽と荒木さんのポートレイトの複写はなかなかの味がある。
”街が表現している”というテーゼが荒木さんが写真を撮る上での重要な動機になっている。街をそのまま「複写」することが写真家のするべきことだというのである。確かにポスターも、広告も、雑誌も、ビラも、テレビも、漫画も、落書きも街に点在する「表現」に他ならない。”複写=写真”という荒木さんの視点は、この頃にはすでに提示されていたのだ。
私写真としての陽子さんとの生活も垣間見える。朝まだきでまだ寝ている裸の陽子さんを撮った写真を最初に、交差点(銀座か?)で信号待ちしている姿、はたきをかけている姿、松屋デパートから出てくる姿、ダイニングキッチンで人形をひざにのせてニッコリしている姿、姿見の前でおしゃれしている姿、キッチンでりんごを剥いている姿、荒木さんのカメラをじっと見つめる姿、ダイニングでアイロンをかける姿、などなど。
写真家と結婚した以上は写真を撮られ続けることは覚悟していたかもしれないが、作品として発表されることまで陽子さんは覚悟していたのだろうか。後に陽子さんが綴った文章には、ま、いっか、という気持ちや、むしろ面白がっている気持ちの方が強かった、とは書いてあるのだが。
電通の仕事だったであろう、沖縄復帰キャンペーンの写真撮りのため、荒木さんは未だ返還されていない沖縄へ渡った。そのときに取ったパスポートの写真もあり、まじめくさった顔をした荒木さんが写っている。筆者も2年前に明治古典会の経営員仲間で沖縄へ旅行した。もちろん、沖縄は復帰して四半世紀が経過しており、パスポートも必要なかった。しかし、至るところに自衛隊ではない日本以外の国の軍事施設が数多く存在しており、旅行会社が観光キャンペーンで盛んに宣伝する明るいビーチのイメージだけではない沖縄を間近に見た気がした。街道筋には占領軍の払い下げ品を並べた店が数多く、軍事施設のそばを通る幹線道路の中央分離帯には椰子の木が街路樹として植えられ、外国資本のファストフード店がずらりと建ち並び、まるっきり日本ではないような雰囲気(言ってみればディズニーランドのファストフード街化)に変えられていた。施設付近以外の場所にはまったく活気がなく、昼間っから人影もない。宿泊したリゾートホテルまで向かう道中にはつぶれたまま廃墟と化した建物をいくつも見ることが出来た。更地にするだけの資金さえ滞っているという経済状態なのだ。
沖縄一の繁華街といわれる国際通りには土産物を売る店がひしめき合っていたが、どこに入っても置いてあるものは似たような店ばかり。表通りにもかかわらずしもた屋が多く、歩いているのは退屈そうな観光客ばかりでここも活気を感じられなかった。沖縄出身のSPEEDという元気な4人は、本当にこんな場所から出てきたのだろうか。
唯一”沖縄”を感じたのは、国際通りの横道である市場通りというアーケード街を歩いたときだった。ウミヘビを乾したものが軒下にぶら下がっている魚介類の乾物屋や、すっかり腰の曲がったお婆さんが香辛料を専門に商っている店。もちろん、沖縄名物の豚肉は頭から内臓から足まで、全て切り分けられ余すところなく肉屋に並んでいる。本土では珍しい紅芋やゴーヤが並ばない八百屋はない。入り口がどこかわからないほど服を並べた店や、今日取れたというようなバナナなど果物を出しているおばあちゃんの露店。どこへカメラを向けてもエネルギーを感じ、持っていったプラウベルマキナが次々にフィルムを消費していった。そうか、ここが今の沖縄だったのか。
そんな風景を頭に残したまま、この写真集に写っている沖縄を見る。独特の屋根の低いどっしりした建物には「バーときわ」と書いてあり、大きくペイントされた”Cola−Cola”のロゴ。国際通りと思われるにぎやかな繁華街を走るクルマは右側通行だ。ちょっとした食堂、ちょっとしたバー、飲食店と思われる建物にはCokeか7UPのロゴがでかでかとペイントされていた。しわの深い海の男という風情のおやっさんが食堂でタバコを飲みながら見せた笑顔までも、Coca−Colaのロゴが入った三角ナプキン置きが遮っているのが印象的だ。ここ沖縄には、確実に日本以外の国に占領された歴史が刻まれたのだ。当時も、そして現在も。
「いやなエンジンの音といっしょに窓から、白い笑顔のまぶしい沖縄の太陽が入りこんできた。新妻へのおみやげ、仇敵コカコーラのビンを溶かしてつくるという琉球硝子を大切に抱きかかえて、女優花城昌子を裏切った東京へ向かった。」と荒木さんはあとがきを締めくくる。やはり占領軍の国の象徴としてのコカコーラには特別な想いがあるようだ。
何年か前に原宿ラフォーレで、写真展「A人生」が開かれた際、特設の売店でこの「続センチメンタルな旅」が定価(1000円)販売されたと聞く。無論、そのときには即完売となったのだが、ほとんど無名の作家だった荒木さんが自費で出したこの写真集は、当時あまり売れなかった事情が読み取れた。
写真は写した”その時”しか写らない。70年代の風景が懐かしいこの写真集も、沖縄以外は普段の何気ない風景が写っている写真集に過ぎなかったのかもしれない。しかし「センチメンタルな旅」と似た、かすれたようなトーンで貫かれた全編を見ると、日本なのに日本ではないような、現実世界と平行して時間だけが過ぎていく世界を写してきたようなニュアンスに見えてくるのだ。この写真集の中の沖縄が過去になったように、現在にいたってもまだ占領され続ける沖縄が過去のものとなる日は来るのだろうか。
2000年11月14日記
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