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東京ラッキーホール
荒木経惟
太田出版 1990年10月1日発行
人間には本能がある。
それは人間が人間である以上、永遠に無くならないものだ。各地にある盛り場。その中心的な存在といえる歌舞伎町の様子を荒木さんと末井さんがレポートした。それが本書「東京ラッキーホール」である。
末井さんの解説によれば歌舞伎町はもともとピンサロやキャバレー、ソープといった店が犇く「クロート」の街だった。ところが帯書きにもある1983年から85年にかけて大量の「シロート」がこの街に流入し、街には異様な活気が溢れた。その隆盛に至るキッカケは「ノーパン喫茶」の開店だったという。
「(風俗店は)光の射し込まない世界で、中に入るには多少の勇気を必要とした。ところが、窓から光の射し込む喫茶店は日常の延長線上にある。(中略)パンツをはかないだけで時給何千円かになるわけだから、「じゃあ、私もやってみる」ということになる。」こうしてシロートの女の子を受け入れる体制が整い、1980年に東京のノーパン喫茶はピークを迎える。
最初は文字通りパンツをはいてない女の子がウェイトレスをする喫茶店だったものが、個室でマッサージサービスをするものに発展し、ついには風俗店の仲間入りとなる。ところが”アルバイトの延長”という感覚のままで働きにくる女の子が多く、風俗の世界に入るふつうの女の子が急増する。本家歌舞伎町にも個室付きノーパン喫茶が続々出現し、過当競争からアイデア倒れに終わる店が続出する爛熟期に入った。その活気の源は”明るい”シロートの女の子が風俗店を明るくしたからだ、と末井さんの分析は明解だ。
そんな歌舞伎町で働く彼女たちを荒木さんはプラウベルマキナ67で撮った。デート喫茶、ピンクキャバレー、愛人バンク、ノーパン喫茶、ショーパブ、トップレス喫茶、カンオケ喫茶、SMショー、覗き部屋、ストリップ劇場、シャワーマッサージ、ファッションマッサージ、ホテトル。
カンオケ喫茶「ポルノ占い」の写真があるが、これがほかの写真と違って様子がよくわからない。ドライアイスの煙が立ち込める中にカンオケがあり、客は服を脱いでその中に入っていると、目をマスクで隠した全裸の女の子がやってきて”死体”をマッサージするというもの。まさにエロスとタナトスの融合だ、と末井さんは興奮気味だが、アイデア倒れですぐに潰れてしまったそうだ。こういう店が出てくるのもアイデア勝負の過当競争が原因らしいが、店の経営者がシロートの女の子が働きやすいソフトな雰囲気を作ろうと努力していた、という側面もあるとのこと。女の子と同じ黒い仮面を付けてすまし顔で女の子をいじる荒木さんの表情が怪しい。
そんな中、「ラッキーホール」が出現する。表紙の写真にもあるとおり、カーテンで仕切られた個室にはベニヤに貼り付けられた”聖子”の顔と”便所の落書き”ほどの身体のラインが書いてあり、局部に穴があいている。客はズボンを下ろして自分の体の一部分を穴の中に入れる。するとベニヤ板の向こう側には女の人がいて、マッサージをするという仕掛けだ。末井さんは興奮気味に書く。「バラバラに入ってくる視覚、聴覚、触覚を、頭の中でひとつにまとめる想像力のセックスだ」と。他にも”知世”の部屋や”明菜”の部屋があるところに時代を感じた。
性(もしくは生)は死とともに、もともと生物として人間に運命付けられた”現実”だ。”運命”と言ってもいい。荒木さんは「東京エレジー」で男と女の間にある”性と死”というどうしようもない要素を写真に叩き付けた。
もともと”むき出し”の性をどうやったら愉しみに変えられるのか。どうしたら商売にまでなるのか。これは文化である。性に付随する”イメージ”をいろいろな方法で増幅するから性は商売になった。「ラッキーホール」がすごいと末井さんが言うのは、そのアイデアもさることながら、ただのベニヤ板に人が集まったという事実だっただろう。男女間には摩擦がある。その摩擦抜きに欲望だけを処理するシステムを世の中が欲していると思ったのだ。
1985年2月13日に新風営法が施行された。「風俗店のエスカレートを押さえるという裏側に、既成の風俗店を保護する意味が含まれていた。」と末井さんは解説する。保護された店は新しいアイデアを練る必要がなくなり、歌舞伎町の活気は一時沈静化したという。
しかし、最近の記憶にも新しい歌舞伎町雑居ビルでの風俗店火災。大惨事が起きたにもかかわらず歌舞伎町は特に打ちひしがれる様子も変わる様子もない。何度倒れても復活する。歌舞伎町のどこにそれだけのエネルギーが内在しているのだろうか。
東京の夜の様子をこうして正面切って作品にするシリアス・フォトグラファーは荒木さんの他に思い付かない。人間に昼の顔と夜の顔があるように、街もまた昼と夜では表情を変える。東京の夜の顔の部分はあまり描かれる事はなかっただけに、その意味は大きい。この本はドイツ・タッシェンから、再編集の上、分厚いペーパーバックの体裁で出版された。
末井さんの書いた印象的な言葉。「歌舞伎町がブラックホールだと思ったのは、最初にラッキーホールに行ったときだった。何もない、ただベニヤにあけられた穴のために人が集まってくる。たぶん、歌舞伎町とはそういう町ではないのだろうか。歌舞伎町には何もない。ただ巨大なエネルギーがあるだけなのだ。」
そのエネルギーのミナモトたる”男性自身”包茎手術のルポでこの本は終わっている。一体、人間の本能とは、男の欲望とはどこから湧き出てくるのだろう。この写真群をみてつくづくそう思った。
2002年1月29日記
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