
複写集団ゲリバラ5の仕事はほかにもあった。
1.便所<ゲリバラ宣言> 高瀬芳夫
2.水着のヤングレディたち ゲリバラ5
3.Five Girls ゲリバラ5
4.情事 八重幡浩司
5.リアリズム 池田福男
以上が現在の映像シリーズであるが、実際には4と5は出なかったらしい。
手元には「Five Girls」があり、オフセット印刷された4人の写真が載っている。巻末に荒木さんが写真を寄せた「股旅お万恋唄」が載っており、これで5人である。
「おー日本」に解説を書いた内田栄一氏が序文を寄せている。ここではプロの作り手が陥り勝ちな”食べていくための写真制作”によって毒されている写真界を批判した上で、ゲリバラ5の仕事の”鑑賞者として写真を見る目”を捨てない立場を評価している。
”自分はどんな写真を見たかったのか”、”虚偽の写真を見せられてはいないか”などのテーゼが提出され、ゲリバラ5はありのままに複写する撮影手法によって、我々の目の前に「真実の複写として見せてくれる。」と語っている。
詩人である鈴木士郎康氏は「森羅万象丸め込み五人男」という文中でこう語る。
「ここに並んでいる300名様の海水浴スタイルの女性写真は、何という退屈さであろうか。美人はいないか美人はいないかといくら頁をめくってみても無駄である。すべてそこらにいる美人がそこらあたりにいるポーズをして立っているまでのことだからなのだ。しかし、このことは、本当は重大なことなのである。これ程までに馬鹿正直に、そこらにいたりあったりするものを、そこらあたりにあったりいたりするような具合に虚構化したものはいないのだ。彼らは、意味ありげな意味に挑戦したものなのである。全く、森羅万象が、現に森羅万象が存在しているその通りに退屈でナンセンスに写真に撮られて、目の前につきつけられたら、そしてその意味を読んだら、その人間は完全に虚構そのものになってしまうであろう。ゲリバラ5は、私らをそのような虚構に追い込もうとしているのであろうか。それは恐ろしい試みである。 きっと挫折するに違いない。」
ありのままを撮られてしまうと、ありのままが写った姿は自分のコピーとして対等な位置に立ち始める、というのが鈴木氏の論理展開である。現物が写真と対等になってしまうというのはまさに虚構の世界であるから、ゲリバラ5の仕事は現物を虚構の位置にまで追い込む結果につながっていく。もし日本人1億2千万人をすべて彼らが複写してしまうと、日本という国は虚構の世界へ引きずり込まれるのだ。それが怖いという意味でもあり、”挫折する”という予想をも導いている。
かの「センチメンタルな旅」は、この複写集団ゲリバラ5の番外編に分類されている事は興味深く、荒木さんのこのバンドへの思い入れの一端をうかがい知ることができる。
2001年4月10日記
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